佃の魅力

佃の魅力

History

佃の魅力
徳川家康公の
江戸入府と
共に始まる物語

今から遡ること400有余年。
家康公と深い関係をもつ漁師たちが、時を同じくして江戸に入りました。
いくつもの争乱を経て、政治・経済の中心として姿を整えていた江戸時代初期。

幕府船手頭“石川”重次が島を築いて屋敷を構えた「石川島」が誕生した後、
その漁師たちが石川島から南へと続く干潟を幕府から拝領し、
自らの手で10年以上の歳月をかけて築いた島に、
故郷の名を取って「佃島」と名づけたのでした。

もともと石川島と佃島の間は約100mほどの隔たりがありましたが、
埋め立てにより距離は近づき、江戸時代後期には陸続きのようになりました。
それから1935年頃まで航路を確保するための浚渫(しゅんせつ)工事や土地造成が続き、
月島、勝どきが完成し、現在の形となりました。

1613
1613
佃は江戸内湾漁業の根拠地 徳川家康公に献上
「白魚」
佃は江戸内湾漁業の根拠地でした。漁師は幕府に御菜魚を上納することで漁業の優先的な特権を認められました。淡水混じる江戸内湾域で多く獲れた「白魚」は家康公の好物だったそうです。また日本人ならだれもが食べたことのある「佃煮」はこの佃で誕生しました。魚が獲れない時のために漁師が保存食として作った魚を煮込んだのがはじまりです。佃は佃煮の産地です。
1790
1790
当時は画期的な更生施設 人に寄り添う
「人足寄場」
江戸時代、戸籍から外されて行き場のない人や罪人を受け入れて、社会復帰に向けての更生を目的とした施設が石川島(現在の佃2丁目)にありました。職業訓練を行ったり、罪人には再犯しないための教えや道徳を行いました。ただ罰するのではなく、人が良くなるためにどうするかを考えた、人に寄り添う施設でした。
1853
1853
新しい技術 日本で最初の
洋式造船所
1853年ペリー来航の年。日本で最初の洋式造船所「石川島造船所」が創設されました。佃島は日本を守るための最重要海防拠点とされて、台場(砲台)を築いたり、日本初の洋式帆走軍艦の建造を行いました。石川島造船所は現在の株式会社IHIの起源で、造船だけでなく初の国際ジェットエンジンを完成させるなど、佃の地で日本の未来が作られていくのでした。
1986
1986
大規模都市開発 “リバーシティ21”
1979年、石川島造船所から歴史を引き継いでいた佃工場の廃止とともに、その広大な跡地で大規模な再開発「大川端リバーシティ21開発事業」が行われることになりました。大規模再開発と言えるものはおそらくこれが第一号で、“ウォーターフロント”・“超高層住宅”という、現在の街づくりでは決して珍しくないコンセプトが最初にここで形となり、その後のタワーマンションブームの先駆けとなりました。
2020
都心にある美しい場所
都心にある美しい場所
雄大でダイナミックな隅田川は、遊覧船や屋形船を楽しむ人々の姿があり、
夏は花火大会、秋は紅葉など、都心にいながら日本の美しい四季を肌で感じることができます。
時代の先駆けとして形作られたリバーシティは現在も開発が続けられ、
暮らしに必要な衣・食・住・遊はますます便利になるばかりです。
自然豊かな美しい場所で、大切な人と暮らしてみませんか。
Future
シンボルツリー
未来の佃へ

シンボルツリー

200年のときをヨーロッパで過ごしたオリーブツリー。
5月から6月頃、白い花を咲かせ、風で運ばれた花粉で受粉し、実もなります。
花は近づくと甘い香り。実は、秋から冬にかけては、緑色、紫色、黒色へと色づき、熟していきます。
海路はるばるヨーロッパから佃へやってきたシンボルツリーは、
イーストタワーズのシンボルツリーとして、これからの佃ストーリーを静かに見守ります。

Memorial places in Tsukuda

佃に想いを
馳せる場所

20222
大規模リノベーション完了
20222月 大規模リノベーション完了

内覧ご予約受付中

0120-781-078

9:00~18:00
(水日定休・年末年始等休業)

内覧ご予約受付中 9:00~18:00(水日定休・年末年始等休業)